雑記

ゲームの記事はネタバレを含みますのでご注意ください。

レーザーの目とは何であったのか

Lorelei and the Laser Eyesの「真実」について。
ゲーム内容および結末についてのネタバレがあり、ゲームクリアまでの情報を知っていることが前提の記事です。

前提として:私の解釈

1963年、映画製作プロジェクトのためにホテルに滞在していたLoreleiは、監督であるRenzoの奇行に悩まされ、生命の危険を感じて彼を殺してしまう。
(彼女が突き飛ばさなくても彼は死んでたんじゃないかとは思うが、最後のトドメという意味で)彼女が殺人者であるとは警察にも世間にも知られなかった。
彼女はその記憶を封じ込めて残りの人生を過ごした。
しかし2014年、彼女は自分の記憶を探り、封印を解こうとする。彼女の夢、彼女の脳内で起きていることがこのゲーム。

一般的な英語としてのLaesr Eyes

私は終始これが掴めていなかったのだけど、Laser Eyes Memeというものがあるらしい。

レーザーアイズ・ミーム(Laser Eyes Meme )とクリプト:どこで、誰が、それを始めたのか?

単に「光る目」のことだった。レーザー = 光線、と思っていたので、ビームを出さないとレーザーと言えないかなと思っていた。(Memeにはビームを出すバージョンもある)
目が(特に赤く)光るというと、力に目覚めたり暴走したり、悪に洗脳されたりと、「めちゃくちゃ強いが意志や理性はなく、あまり話の通じない、グッドエンドのためには解除されるべき状態」のイメージがないでもない。

しかしこのゲーム内ではおそらくそのような悪い意味はない。
「目が鋭い」の最上級ビジュアル表現なのではないかと思う。見つける・見通す・見極める力が強いこと。普通では見えないものまで見ること。

Renzoからの評価としての"Laser Eyes"

ゲーム中でレーザーの目という表現が実際に現れるのは、Renzo NeroがLorelei Weissの作品を見ての彼女への評価だ。
前衛的なアートであるので、観察力だけでなく先見の明についての表現でもあるだろう。彼女がアートの手法としてコンピューター(おそらくは、 "光る"ディスプレイ付き)を用いたことに絡めてもいるのかもしれない。
この表現はおそらくRenzoとしてはかなりの褒め言葉なのではないかと思う。

Renzoは不安定で、機嫌が良ければやたらと褒めてくるし、そうでなければ同じ相手を口汚く罵倒することもしそう、というイメージはある。こちらが何を言っても自分の話したいことだけを話したりと、人のことをよく見ているとも言い難い。あまり信頼のおける評価者ではない。
それでも彼は事実として、自分の最高傑作にすると息巻く映画『The Third Eye』の重要な要素である迷路のデザインを、彼女に一任した。芸術家として高く評価していたのは間違いない。
LoreleiにとってもRenzoは優れた芸術家だ。褒められて悪い気はしないだろう。直接言われたことがあるのかはわからないが、彼から受けた「レーザーの目を持っている」という評価は、おそらく彼女の中に残り続けた。

そして彼女の目は光った。2014年末、介護医療施設のベッドの上で。

彼女の目が光る意味

ラストで明らかになる通り、このゲームの最終目的である「真実」とは、1963年にRenzoが死亡した事件の真相だ。
Renzo本人の精神状態によるものだろうという警察の見立ては間違っていない。ただ、直接の死因は不明なままとなっている。
知られざる直接の死因は、「Loreleiが彼を突き飛ばしたことで、窓から落下したこと。」

おそらく事件直後、恐怖でパニックになっていたであろうLoreleiはこのことを警察に話さなかった。もし話したとしても、正当防衛となって罪には問われなかったのではないかと思う。だが彼女は言えなかったのだろう。
刑務所送りになることを恐れて隠蔽したというよりは、自分のしたことに慄き、受け入れることができず、否認しようとしたのではないか。
単に他人に言わなかったというだけではなく、自分の中でもこのことについて考えることをせず、記憶を封じ込めてしまった。無かったことにしたかった。

しかし、当然忘れようと思って忘れきれるものではない。彼女は自分を罪人だと思い、罪を認めなくてはとずっと思っていたのだろう。
表層心理は事件のことを忘れている。目を背け、なかった事にしている。しかし深層心理は、それではいけないと言う。思い出さなくては。見なくては。封印を解かなければ。

そして彼女は過去の記憶の中を彷徨い、答えを見つけ出していった。それがこのゲームの内容だ。
(彼女の脳内の)Renzoに導かれ、記憶の中を旅し、自分がずっと目を逸らしていた真実を直視した。
見つけ難きを見つけ、見難きを見る。並大抵のことではなかった。ただの視力ではなく、光る目の鋭さをもって、彼女は成し遂げたのだ。

とはいえ彼女が自ら目を光らせた(明確に決意して過去を思い出そうとした)のではないだろうと思う。
高齢になって、認知症なのか他の疾患によるものか、彼女は会話が難しくなった。そんな彼女からなんとか反応を引き出そうと、介護者や訪問客が彼女の過去に関連する言葉を投げかける。それがきっかけで深層心理が引き摺り出され、なし崩し的に記憶への旅が始まった。そんなところではないだろうか。
全ては彼女の頭の中のことだ。自覚的に覚悟を決めたのならその時点で「何を見るべきか」はわかっているはず。探す必要などない。

光る目、光るサングラス

ゲーム中で老女の目はずっと光っている。
このゲーム世界があること、プレイヤーキャラクターが動いていること、それ自体が老Loreleiが記憶の中を旅している証左だ。彼女の目はずっと光っている。

プレイヤーキャラクターのサングラスはずっと光っているわけではない。
光るのは、芸術家の幽霊や迷路頭を見た時。迷路やクイズクラブの空間にいる時。奇術師に近づいた時。

サングラスが光らない箇所が全て現実の1963年のHotel Letztes Jahrにあったものかというとそうではないので、現実かそうではないか、という表現はしっくりこない。
これはRenzoの作品に登場する<第三の目>の表現がしっくりくるだろう。「この世の魔法が見えるのです。」
そういう魔法を見た先では、過去の真実の核心に近づくための情報が得られる。この辺は重要さの演出ではあろうが。

<第三の目>はRenzoの映画作品に登場する概念であり、彼の創作だ。
レーザーの目とは別の概念なのだが、その表現を使っているのは同じ人物であるし、Loreleiにとってもどこか繋がってしまうのだろう。Loreleiの記憶の世界であるゲーム世界では、混同されているわけではないが、少し似通ってくるのは理解できる。

なお過去の作品でRenzoは、「目を抉り出す」「盲目」というモチーフをよく使っている。
そんな彼が『The Third Eye』では、より見えるようになる新たな目の獲得を描いたのは、面白い転換だなと思う。結末は結局抉り出しちゃうけど。

閉じ込められたRenzo

ゲーム中でRenzoもとい「男」は案内人、先導者となる。あまり親切な案内はしてくれないが、明確に、プレイヤーキャラクターが真実に辿り着くことを求めている。
1963年に死ぬ直前のRenzoの言動はおそらく迷路頭が渡してくる「脚本」に書いてある通りなのだろう。当時の、現実の彼がLoreleiに求めていたのは映画に使うための迷路の製作だ。真実とかそういうものではない。
ゲーム世界はおそらくすべてLoreleiの頭の中のこと。「男」の願いは、死んだRenzoの願いではなく、Loreleiの深層心理の現れだ。

それでもLoreleiにとっては「Renzoがそう言っている」になるのだろう。
死者の無念なんてものは残された者がイメージするものだ。死者は何も望まない。何も言わない。何も言えず、望むことも感じることもできなくなるのが、死というものだ。主体がなくなるのだから。
それでも、残された者の記憶から、思考から、死者が消えることはない。「あの人ならこう言うだろう」「きっとこうして欲しかっただろう」と考えてしまうのを止めることはできない。
そして、「あの人が望んでいたとしても、もう死んだ人の望みなので、気にしなくていい」とは、できないものだ。
残された者にとっては、間違いなく死者の声が聞こえているのだ。残された者の脳内だけのことなので、自分に都合よく改変しているかもしれない。結局は残された者当人がやりたいようにしているだけだ、人のためではない。それでも、当人にとっては、「人のため」なのだ。

Renzoはとっくに死んでいる。
しかしLoreleiの中のRenzoは、彼女が真実を探すことを求め、解放を求める。
独房の中の男は言う。「貴方は私を51年間監禁してきた。シニョリーナ。ここから出して。」
51年間とは、Renzoが死んだ1963年から、老Loreleiが記憶を巡る旅(このゲームプレイ)に出る2014年までの間だ。

これは単にLoreleiの印象の話だ。
Renzoの死につながる最後の一手を指してしまったのは自分だという記憶と共に、死んだRenzoをも閉じ込めてしまっている。自分が記憶を封じ込めるのをやめて、真実を直視しないと、Renzoも解放されない。日本風にいうと「浮かばれない」と彼女は考えていた。
彼女の主観からすれば、Renzoの声が聞こえていたのだ。

なお、似たようなことをフクロウ娘 = Renateも言う。ゲーム中でそうしろとは言われない隠し要素だが、番号1847に電話をかけると、「ここから出られない」という声が聞こえる。
Renate Schwarzwaldという画家は実在したのだろうが、『The Third Eye』に出てくる芸術家の女は、彼女を題材としてRenzoが創作した架空の人物だ。
これも死者と同じことで、Loreleiの頭の中では、RenateもLorenzoもそれぞれの意思で話すのだ。
終わらない物語の中に停滞させてしまった登場人物。小説や漫画の作家にはこういう声が聞こえることがあるのかもしれない。

ラストシーン

「自分は人を殺した」という真実をようやく思い出したLoreleiのベッドの横に、RenzoがRudiを連れて座っている。
ここで初めて、Renzoの顔が映る。ゲーム中での会話シーンはずっと口元から下だけ。尋問室前で記憶を思い出している時も、顔はぼやけて見えなかった。表示名も終始「男」。
真実と一緒に、Renzoのことも思い出したのだ。ようやく、記憶の中の彼の顔を真っ直ぐに見ることができるようになった。

彼は言う。
「重要なのはあなたがようやくそれを見たということです。」
「レーザーの目なんていうものはむろん存在しない。しかしそれが物語の効果というものです。」

現実には目は光ったりしないし、目に見えない真実を見ることはできない。
しかしLoreleiはやってのけたのだ。自分はレーザーの目を持っているという、かつてRenzoに言われた言葉をどこか心の片隅に置きながら。
「私にはレーザーの目があるんだからなんでも見える!」という明確な自信になっていた、とは言えないだろう。
ただ、自分で自分を信じることはできなくても、自分を高く評価した人がいたという事実を、小さなよすがにすることはできる。
実在を信じきっているわけではなくても、助けになる。物語の効果。

Loreleiの記憶の中のRenzoが、Loreleiの目を閉じさせる。
もう終わっていい。もう解放されていい。Renzoの声を借りてずっとLoreleiを責めていたであろう深層心理に、ようやく彼女は赦された。

それで現実の罪がどうこうなるわけではない。第三者に告白したわけでもない。
しかし現実に・客観的にどうだったかを考えるなら、あの状況でLoreleiは殺人者、罪人と言えるだろうか。銃を持った狂人に掴み掛かられて、後ろが窓だという注意を払わずに突き飛ばしたことは、正当防衛でなくてなんだろう?
自分を殺人者と断じたのはLorelei自身。
そこから目を逸らし続けるというさらなる罪を重ねたことを糾弾するのも、Lorelei自身。
赦すことができるのも、Loreleiだけだ。

自分が殺人者ではなかったと考えることは彼女にはできないだろう。そちらの罪を赦すことができるのは(彼女が信じているなら)神だけだ。
しかし逃げてきたという罪は反省し、立ち向かった。

安らかな眠りを。Lorelei。