雑記

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3月10日のつづき

戦争に至る心理として、以下の三つを本で読んで納得したと書いた。

  • 悪いことは外から来るという意識(仲間うちだけなら平和なはずなのに、問題が起きるのは外部の要因のせいだと考える心理)
  • 悪いことは意図的になされるのだという被害者意識(対立する相手の悪意を必要以上に邪推してしまう心理)
  • 今起きている悪いことは「よくあることで、気にしないでいい」ことではなく、しっかり対処しないと後の時代にも影響を与える特別な問題だという意識

じゃあこういう心理にならないためにはどうしたらいいのかについてはまだわからない、とも書いたのだけど、子どものころから聞かされてきた陳腐な平和教育ってものが結局大事なのかもしれない。
国際交流と歴史学習だ。

三つのうち前二つは、外と内と峻別し、外への無知が引き起こすものと言える。会ったこともないガイコクジンを敵と想定することは簡単だが、逆に言うと、顔を合わせて遊んだことのある友だちの出身国をそういう風にとらえることには抵抗がある。
閉鎖的であること自体が悪いわけではなくて、本当に閉鎖した集団内で完結できていればそれも幸せなのかもしれない。けれど大抵の場合、商売相手だったり気候変動の原因になったりと、集団の外とのつながりはどこかであるものだ。
それなら、自分の属する集団は身内として大事にしつつ、外のことも理解することが争いの抑止になるはずだ。

三つのうち最後の一つについては、歴史を知ることで冷静になれる可能性が大きい。
冷静になった挙句にシニカルになりすぎて、どんな努力にも価値を見いだせなくなったりする可能性ももちろんあるが、個人的な見解として、視野は狭いより広い方がいい。
三つ目の意識は悪いことではなく、平和的な社会運動を引き起こしたりするものでもあると思うので、単に抑止すべしと言い切れるものじゃない。

国際交流と歴史学習は大事なことですよ、なんてのは、なぜそれが大事なのかも実感としては理解できないままに子どものころから押し付けられてきた価値観で、正直なところ、素直に追従する方がダサいと思っていた。
それが、「こういうことあるよね」「こういうの嫌だよね」という日常のリアリティと結びついて実感できると、全然違ったものに見える。
子どもの頃の私にそういうことを教えてきた大人たちがみな実感として理解していたのかはわからないし、正直彼らもわかってなかったんじゃないかと思う。
違う理解であってもいいから、教える側の大人が、受け売りの垂れ流しじゃない自分の言葉で語れるようにしないと子どもにも通じないんだよな。